地獄からの生還――生きていた行方不明者

 

メキシコ各地で次々に起こる行方不明事件。なかでもよく聞かれるのが、「強制リクルート」である。若者が自宅から、あるいはパーティーからの帰り道で、いきなり武装グループに拉致され、行方不明になる。あるいはうその求人広告でおびき出され、それきりになる。

そのような人たちがどこで何をしているのか、これまで憶測でしか語られたことがなかった。このレポートはおそらく、犯罪組織に強制リクルートされ、むりやり戦闘員としての訓練を受けさせられていた人が実態を語った初めてのものである。

 

連れ去られた人が生きて帰れること自体まれなうえ、組織の実情を当局にしゃべったとなると、本人も、また家族も、どんな目にあうかもわからない。

勇気をもって語ってくれた「ルイス」に感謝するとともに、彼が目撃することになった、虐殺され、焼かれて灰にされてしまった多くの罪もない若者たちに哀悼の意を表したい。

 

 

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地獄からの生還――生きていた行方不明者

 

https://adondevanlosdesaparecidos.org/2019/02/04/los-desaparecidos-que-estan-vivos/

 

 

 

カルテルは、仕事があるとだまし、監禁し奴隷とした。そうして組織犯罪の武装集団の一員にされる。麻薬物の畑を見張ったり、戦闘員として訓練させられたり。彼らは生きてはいるが、消息不明となっている。そのサバイバーのひとり、「ルイス」が地獄での日々を語ってくれた。

 

 

 

201924日 アレハンドラ・ギジェン、ディエゴ・ピーターソン

 

Reportaje de Adóndevanlosdesaparecidos/Quinto Elemento Lab.

 

 

 

 ――私が逃げ出したとき、できる限り遠くに逃げた。見つかったら殺されるとわかっていたからだ。もしまっすぐ警察に行ったら、自分はカルテルに引き渡されてしまうと思った。しばらくして、自分と同じ境遇にいた人が勇気を出して話をしているのをニュースで見た。私はあの山から逃げ出せたが、愛する家族が行方不明になって心配している人たちに、少しでも心の平和を取り戻してあげたいと思うのだ。たくさんの人が殺され、焼かれるのを目撃した。もし私が話さなければ、その人の家族は誰も、どのように死に、どのように「消されて」しまったのか、知る由もない。だから私は危険を冒して自分が見たことを話す。見つかるかもしれないという期待はもう持たないように、そして家族が少しでも心を落ち着けることができるようにしてあげたいのだ。それで、ハリスコ州検察庁に連絡を取り、自分自身もハリスコ新世代カルテル(CJNG)によってナバハス山地に監禁されていた、そしてカルテルの手によって殺害された17人の人たちについて、自分が目撃したことを証言できると伝えたのだ。

 

 

 

 「ルイス」(本記事では氏名は安全のため仮名としている)は、カルテルが若者たちに戦闘員としての訓練を強制していた野営地からの生還者である。2017年の初め、彼はリハビリ施設で働いていた。給料は安すぎ、薬物中毒者たちから離れたいと思っていた。SNSで新しい仕事を探した。その4月、フェイスブックの求人ページにアクセスした。メールである求人広告にコンタクトをとった。警備員、週給4000ペソ。メッセージを送ってきた女性に連絡したところ、その会社の担当のスーパーバイザーであるマリオと連絡を取るよう言われた。1週間後に同じ仕事に関心をもつほかの15人と一緒にワッツアップのグループに入れられた。タラ行政区でのトレーニングに行くよう求められ、前払金4000ペソが払われると言われた。

 

 ルイスは期待にあふれて行ったが、まさか仕事の初日に現地に着くなり、隠れ家に閉じ込められ、それからアウイスクルコ山地の野営地まで登らされることになるとは思いもしなかった。しかしそれは殺すためではなく、訓練してハリスコ新世代カルテルのために強制的に働かせるためだった。

 

 

 

 彼らのうちの何人かの家族は行方不明者として届け出たが、犯罪組織のもとで生きているとは思いもしないでいた。ハリスコ州検察庁は20177月に捜査を行い、トレーニングのための野営地を発見した。そのひとつで、15人の男性を拘束したが、そのうち3人は行方不明者として届け出が出されており、意思に反して拘禁されていたことが確認できた。その3人は釈放され、その証言はルイスのものと同様に記録されている。彼の供述と匿名の人たちの証言により、テキーラ渓谷地方やグアダラハラ都市圏、その他の州の出身者、さらに中米移民に至るまで、数十人の男性たちがアウイスクルコ山地に連れて行かれたこと、そして奴隷化と強制労働が、ハリスコ新世代カルテルが活動していくうえでの常套手段だったことが判明した。

 

 記録されている応募者の中には、日雇い労働者、失業者、洗車係、建設労働者、市場の荷運び人夫、アメリカから強制送還されたもの、元警察官、元兵士、薬物依存リハビリセンターから出たばかりの若者たちもいた。さらに生存者のひとりは、グアダラハラの中心街を夜、歩いていると、突然頭を殴られ気を失った、目が覚めたら隠れ家にいた、と供述している。

 

 検察が手入れを行ったときには、ルイスはもうそこにはいなかった。しかしその後、リスクが予想できるにもかかわらず証言することを決意したのだ。

 

 

 

 ――その仕事のためにコンタクトをとったとき、すべて合法的なものかと質問した。「ほら、もし非合法なら、武器を所持できるように訓練に送ったりはしないよ。心配しないで。法に反するものは何もないから」と言われた。私が、「すいません、でも大丈夫でしょうか? 母が病気で母と連絡を取る必要があるんですが」と言うと、マリオは、安心するように、自分が保証するから、と言った。私はタクシーを拾い、ペリフェリコ通りまで行った。10分ほどで車が来た。ルイスかと聞かれ、そうだと答えた。私は車に乗り込み、私たちは別の青年を迎えに行った。車は道が入り組んだわかりにくい場所に入って行った。あごひげがあって少し巻き毛で小太り、青い目に白い肌の男が出てきた。後でイグナシオという名前だとわかった。女性が2人、見送りに出てきた。私たちが行ってしまうまで、2人は玄関にいた。運転手が神経質そうに、タバコを吸い続けているのを見た。話しかけると、彼はまだ働き始めて1週間だが、それまでの送迎分がまだ支払われていない、と言った。

 

 その日は51日だった。私たちは街道沿いで降ろされ、そこにメキシコ州から来た青年3人を乗せたピックアップトラックが来た。そのうちのひとりは義眼をしていて、別のひとりはやせていて義足をつけていた。もうひとりは小太りで前髪を一束伸ばしていた。運転手は薄汚れた太った男で、私たちに荷台に乗るよう命じた。車上で話をし、われわれ5人はみなその前日にワッツアップのグループに入っていて、フェイスブック上の求人広告に応募していたことがわかった。ガードマンあるいは警備員の仕事で週給4000ペソ。私にとってその給料はとても魅力的だった。     

 

 

 

 私たちは別の車に乗り換えさせられた。タラの方向に向かい、脇道に入り、荒れ果てた農場に着いた。木製の柵に有刺鉄線が張られていた。カラシニコフ銃を持った男がいて、中に入るようにと言った。中には家具はなく、床の上に38人の男たちがいただけだった。その時、自分がとんでもない状況に入り込んでしまったことに気がついた。普通じゃなかったからだ。部屋に入ると、黙って座るようにと言われた。トイレに行く場合も許可を求めるようにとも言われた。いかにも貧しげな人ばかりだった。悪党らしい顔つきの者もいれば、人生で失うものなどないような風情の男もいた。もう元に戻れない一線を超えてしまったことに気づき、何か悪いことが起こる気がした。実際、変な臭いがしていて、そこにいる人たちは悲しくみじめな目つきをしていた。

 

 

 

 

交通の便の良い山地

 

 タラ、アウイスクルコ、ラス・ナバハス、クイシージョスの村々はグアダラハラから1時間以内の場所にあり、ラ・プリマベラ森林公園に隣接している。プエルト・バジャルタに向かうハイウエイ沿いにあり、森林公園を越えて左に入るとアメカ河の渓谷に入る。そこは一面のサトウキビ畑が広がる肥沃な土地で古い農園があちこちにある。タラを過ぎると、次がアウイスクルコ行政区で、そこは古くからの先住民共同体で、いまも森と湧水池を大切に守っている。村は同じ名前の山のすそ野にあり、ラ・プリマベラ森林公園から続く同じ火山性地質に属している。山地の別の側にラス・ナバハスの村があり、アウイスクルコの人たちによると、「そう、あそこには犯罪組織が入り込んだ。人々は受け入れて、自業自得の目に遭っている」。

 

 

 

 ラス・ナバハス村は、土中から黒曜石がたくさん出て、何世紀も前、地域の先住民村の間でナイフとして売られていたることからそう呼ばれている。村を通り過ぎると、山地に入る脇道がある。この道沿いに生存者たちが暮らした隠れ家のひとつがあり、ハリスコ検察庁はそこを捜索した。もっと上に行くと、ラ・レセルバと呼ばれる場所がある。山地の住民たちによると、そこに「ドン・ペドロ」という人が所有する農場がある。当地ではラファエル・カロ・キンテロはその名で呼ばれているのだ。ドン・ペドロは70年代末にこの地に来て、マリワナを栽培し、牧畜を行い、この地域を支配したという。20177月のハリスコ州検察の手入れの後でさえ、その道は大型トラックやバイクに乗った見張り役の若者たちによって監視されていた。生存者らはみな、証言のなかで、この脇道を通って山に登って行ったと述べている。

 

 

 

 地図には名前が出ていないこの山地は、地理的に戦略的な場所にある。一方にはコリマやマンサニージョに行く街道に入る道があり、別の側には西マドレ山脈があり、太平洋の沿岸とプエルト・バジャルタに続いている。マンサニージョの港からは合成麻薬の材料となる化学物質が入ってくる。それらはコリマに向かう道路を使って運ばれ、グアダラハラの手前で南環状線かマクロリブラミエント高速道路に入り、ラス・ナバハス村の近くまで来る。そこから入る山地が、野営地の隠れ家や秘密墓地、麻薬の製造工場として利用されるのだ。クイシージョスの村からは、メキシコ北部やマスコタ、プエルト・バジャルタの街に続く道路に出ることができる。

 

 2017729日、ハリスコ州検察庁は6613日の間に6人の行方不明者の申し立てがあったと発表した。彼らは皆、アンケート調査員や警備員、市警察官などの仕事を得たので、タラ行政区に行くと家族に告げていた。

 

 

 

母親たちの証言 

 

ラウラは2017722日、息子のイグナシオが行方不明になったと申し立てをした。彼がいなくなる前に何かおかしな様子はなかったかとたずねられた。

 

「仕事が見つからないので落ちこんでいた」とラウラは述べた。22歳で100キロ以上の体重があった。髪は明るい栗色で目は緑色、前腕に入れ墨がある。高校中退。週給4000ペソの警備員の仕事が見つかったと母親に言った。トレーニングのために2週間、タラに行くことになった。201751日、サポパン行政区南部の下町にある自宅に迎えの車が来た。

 

 イグナシオは黒とグレーのカンバス地に十字のラインの入ったリュックを持って出かけた。そこには3日分の着替えが入っていた。ボクサーパンツ、靴下、木製の櫛、プラスチック製のサンダル、スポーツをするための白い運動靴。携帯電話は持っておらず、借りて行くこともなかった。彼の母と姉が見送るために外に出た。彼は薄茶色の車に乗り込んだ。車内にはほかに2人の男たちがいた。運転手と拾ったばかりの青年と。それがルイスだった。それきり、連絡が途絶えた。2か月後、姉がタラで奴隷化されていた人々が見つかったというニュースを見た。イグナシオが行方不明になっていることを届け出たのはそれからだった。

 

 

 

 エルネストもまた行方不明者として届け出られていた。がっしりした体格で、身長1メートル78センチ、96キロ、丸顔で目は明るい茶色、入れ墨はない。胸と左腕にかみつかれた傷跡がある。黒いジーンズと水色のポロシャツを身に着けていた。26歳で、急いで仕事を探していた。2017年初めに子どもが生まれたが、定職がなかった。困っていたところ、インターネットで求人広告を見つけた。430日、連絡を取り、翌日早朝、午前7時前に家を出た。タラに訓練に行くために、ペリフェリコ通りとマリアノ・オテロ通りの角に迎えが来る予定だった。母親と妻に、数日のうちに連絡するといった。妻のカルラは朝10時にどのような様子か知るために電話した。まだ着いていない、と答え、訓練が行われる場所の電話番号がわかったらすぐに知らせる、と言った。しかし知らせてこなかった。毎週家族に会うために戻ることができるという約束だったが、一度も戻らなかった。母親のロサは201758日に行方不明になったと届け出た。

 

 

 

物事をうまくやること

 

 20175月、ルイスは最初の隠れ家に捕らわれていた間、彼らを見張っている者たちの様子を観察し始めた。何人かは彼と同じように捕らわれの身だったが、もう休暇に出かけられるようになっていた。

 

 

 

――あそこで誰が命令しているか、誰が出たり入ったりしているか、上下関係があることを観察していた。信用されているかどうかよりも、メンバーと認められる決定的なことは、彼らとともに働くために戻ってくることだった。

 

 その家から、トラックに載せられ大勢が連れ出された。クイシージョスに向かう街道を通ってナバハスの別の農場に連れて行かれた。高さ1mほどの作りかけの家畜用のような鉄製の門があった。農民のような帽子をかぶった男がいて、私たちにこう怒鳴った。

 

「間抜けども、整列! 急いで! なんでお前らがここにいるかわかるやつはいるか?」

 

 私は何も言えなかった。殺されるかもしれなかった。男は銃を手にし、われわれの頭上に発砲した。

 

「全員に休暇を与える。ここに戻ってくれば仕事を与える。そうでなければ、くそっくらえだ! 今すぐ行きたい奴は誰だ?」

 

 誰も何も言わなかった。

 

 男のひとりがいつも私を脅しつけた。「おいお前、急げ!」と怒鳴りつけていた。素早く、賢く物事をやれ、というのだ。私たちは山の頂上まで行き、野営地に着いた。そこはアメリカの森林地帯のようなところで、ある女性の私有地で帽子の男に貸しているのだという。

 

 

 

目立つことと生き延びること

 

 隠れ家で、虐待と脅迫が始まった。ルイスのほかに検察に救出された3人がいたが、彼らは証言のなかで、どのように求人に応募し、どうやって騙されて隠れ家に連れてこられたのか述べている。隠れ家のひとつには50人もの男たちが雑魚寝をし、殴られ、もし逃げたら殺すと脅されていた。

 

 

 

 ――毎日私たちは訓練をし、命令に従うものは休暇で出かけることができると言われていた。新人、準新人、ベテランの3つの組に分けられていた。新人は始終殴られ、武装した男たちに見張られていた。1週間後、私とほかの4人がトラックに載せられ、隠れ家に連れて行かれて、そこで水浴びをすることができた。そこで、大変なことに巻き込まれていることにわれわれは気がついた。奴らのカルテルのために私たちは働くことになっていると話すのが聞こえたのだ。恐ろしくなった。見張りの男たちはドラッグをやっていた。私は一度も使ったことがない。自分は仕事と、家族と子どもたちだけだった。

 

 23日に山の別の野営地に戻された。私たちは棒とビニールと木の枝で仮小屋を建てさせられた。水や食料を運ばされた。身体中を殴られた。「この役立たず!馬鹿野郎、犬め!」と言われていた。私たちは夜の12時まで眠ることができなかった。眠っているのが見つかると、空気銃で撃たれるか殺されるかした。見張りの男たちは、許可なくコンビニに行った2人を撃ち殺した。ほかの者たちに、小川がある崖の下に死体を降ろすように言い、私は薪や枝を取ってくるよう命じられた。そうして2人を焼いたのだ。

 仲間としゃべっているうちに、20人全員、自分と同じように騙されて連れてこられたことがわかった。

地面のくぼみを利用して、ディーゼルオイルなどをかけて完全に遺体が燃え尽きるまで焼く。

 

 

 

 ――クイシージョスの村から1時間の野営地にわれわれは連れて行かれた。そこでは野宿させられ、小用を足しに行くにも許可を求めなくてはいけないと言われ、無断で行ったら殴られた。…ある日、荷物を運んでいたときに、小川に立ち寄ったことがあった。「ミイラ」と呼ばれる男が、「ひざまずけ、おれの命令に従わなかったらこうなる」とチェコに言った。首に子どもたちの名前と誕生日の入れ墨をした男だった。彼は撃たれて死んだ。別の男も撃たれた。命令されて、2人の遺体を小川に降ろし、服を脱がした。枯れ葉と木の枝を集めた上に死体を置き、火をつけて完全に燃え尽きるまで待った。

 

 

 

 ――30分歩いて、木の棒と黒いビニールシートで作られ、小枝やごみで屋根を覆ったキャンプに着いた。外には武器を持った見張りが3人いた。私たちが中に入ると、20人くらいの男たちが横になっていた。小屋の中に入って何とか横になって眠った。しかし夜が明けると同時に全員起きて、整列させられ、こう言われた。ハリスコ新世代カルテルの戦闘員として働くためにトレーニングを行う、抵抗するものは殺す、と言われた。われわれは強制的に訓練させられた。彼らはわれわれを訓練するために空気銃を持っていて、ゴム弾を私たちに向かって撃ちながら使い方を教えた。

 

 

 

 ――2017724日、その日は月曜だったのを覚えている。われわれは起床するとビニールシートや生活用品を運ぶよう言われた。ボスは電話を受けると大慌てした。パトカーが山地を捜索に来たというのだ。3人は銃撃し始め、私は銃弾から逃げるために山の低い方にひたすら走った。警察がわれわれを包囲し、「地面に伏せて手を挙げろ」と叫んだ。そうしてわれわれは全員逮捕された。

 

 

 

 供述した3人の若者たちは、自分たちを解放してくれたハリスコ州検察の手入れについても語った。その後、2017729日、ハリスコ州の元検察長官エドゥアルド・アルマゲルは、先に若者をひとり保護していたことで、野営地を発見することができたと発表した。検察の推定によれば、5060人のカルテルメンバーが40人の新人を監禁していたという。

 

ハリスコ州におけるカルテルによる訓練と大量虐殺のための野営地はここだけではない。2016年には、トラケパケとプエルト・バジャルタを縄張りとする同カルテルの別グループが、「セグメックス」という架空の警備会社の求人広告のチラシを配っていたのがわかっている。応募した人たちは麻薬を売らされたり、戦闘員にさせられたりした。

 

 

 

 201710月、検察はプエルト・バジャルタ行政区で、うその仕事話で連れてこられた4人を救出した。販売主任や警備員の仕事だとして雇われていた。ハリスコ・カルテルはタルパ(タラの西方150)の山中に訓練のために連れて行き、消息不明にしていた。その時、当時の検事長アルマゲルによると、それはタラで活動していたのと同じ犯罪グループで、構成員にはベラクルスやミチョアカン、メキシコ州、ハリスコの出身者がいた。

 

 

 

勇敢な若者を選んで連れ去る

 

 タラでの若者の行方不明事案は、検察がこれらの野営地を発見するずっと以前から始まっていた。2012年から行方不明者の記録がある。そのひとりがハビエル・シスネロス・トレスだった。勇敢にも捜索していることをおおやけにしているのは、彼の家族だけである。ハビエルはタラの町で母親と暮らしていた。姉妹のアルマは、ハビエルが捕らえられた日のことを次のように語った。

 

 

 

 ――当時ハビエルは母親と暮らしていた。父親はもう亡くなっていた。兄はテレビを見ながらもうベッドに入っていた。近所の人たちが呼びに来たので出かけた。その家に入って、そこで連れて行かれた。戸口に彼のセーター、メガネ、カギが落ちていて、血が落ちているのが見えた。兄は人を助けるのが好きで、地元のみんなを助けていた。ワルじゃない。どんな暮らしぶりだったかでわかるはず。私たちは質素な暮らしをしていた。彼はタラの製糖工場で働いていた。仕事のない日が続いていた。タラでの仕事は日雇いだったからだ。立ち木に白いペンキを塗る仕事で出かけていた。噂では、ナバハスにいるハリスコ・カルテルに属するタリバンという犯罪グループが連れて行ったそうだ。

 

 

 

 タラでは少なくとも60の家族に行方不明者が出ていることがわかっている。妹と私でひとりずつの名前を記録している。中学時代の友人にある日会ったとき、「弟が連れて行かれた。何が起こったのかわからない。弟はマリワナを吸っていた」と言われた。「わかった、マリワナを吸っていたかどうかは連れて行かれたことに関係ない。彼は行方不明になっていて、私たちは見つけなくちゃいけない。私たちが探さなかったら、誰も見つけてくれないから」と私は彼女に言った。万一共同墓地で遺体が見つかったときにわかるように、彼女の弟の写真を出してもらった。なぜならそのままでは生きているのか死んでいるのか絶対わからないからだ。ここでは大勢行方不明者がいるのに、誰も何も言わない。

 

 

 

 やることをやるのに十分な勇気を持っている若者が連れて行かれる。誰でも、というわけじゃないから()汚い仕事でもやろうという気になりそうなものだけを連れて行っているようだ。もし、「我々のために働くか、殺されるか」と言われたら、「働く」と皆答えると思う。正直に言って、兄は「殺してくれ」と言うとは思わない。誰だって生きていたい。お母さんにはそう言っているけれど、そんな仕事を兄がしているかと思うと心が痛む。奴らのために働いていると思うと怖くなる。

 

 

 

 地元では、そこで起こっていることは公然の秘密である。ハリスコ・カルテルはタラとその周辺地域をコントロールしており、話すためには匿名にしなくてはならない。エレアサルもまた、おおやけでは話したがらず、村からどのようにして大勢の若者が連れて行かれたのか、自宅で話してくれた。

 

 

 

 ――2013年から、この地域で若者たちが行方不明になり始めていた。彼らは農民の息子たちで、頑強で勇敢で、田舎暮らしを知っていて、なので武器も使えた。威勢が良くて格好つけで、(麻薬マフィアの歌などを歌う)「エル・コマンダー」の音楽を好み、喧嘩好き。パーティーに行ったり麻薬を使ったりしていた。パーティーに出かけてそれきり消息不明になったというケースをたくさん知っている。そのうちの何人かは生きているらしく、家族に電話をかけてくるが、カルテルのために働かされているので、彼らを探すこともなにか言うこともできない。その手の音楽や流行りのナルコ文化を好んではいたが、麻薬マフィアに入りたいと望んでいた青年たちではなかった。なぜならタラには製糖工場の仕事がたくさんあるから。だから無理やり連れて行かなくてはならなかったのだ。おそらく同じ地域のマリワナやケシの栽培地や国内の別の場所に連れて行かれたのではないかと思う。ここのカルテルのグループは強力だから。疑いなく。ここからほかの地域に若者たちを供給しているのだ。私が思うには、地元に適当な若者がもういなくなったので、今度はほかの場所から若者たちをだまして連れてくるためにうその求人広告を出しているのだ。

 

 

 

 2014831日、タラで行方不明者のためのミサが行われた。家族は名前を入れた行方不明者の写真を持参し、一人ひとり名前が呼ばれた。多くの人が来て、掲示板に35人の写真が貼られた。そのほとんどが男性だった。そのミサのせいで、神父は脅迫を受け、タラを後にしなければならなかった。

 

 多くの家族が申し立てをしたがらないが、全国行方不明者データ記録によると、タラ行政区では56件の行方不明の届け出がなされている。20062012年の間には2件だったが、2013年には14件、2014年は17件あった。住民にとって、それらの年に何かが起きたのだ。ハリスコ新世代カルテルが勢力を増し、この地を支配した。そして働き手が必要になったのだ。

 

 バレンシア兄弟とイグナシオ・コロネルの逮捕によって、シナロア・カルテルと組んで麻薬密輸をしていたミレニオ・カルテルは2つのグループに分裂した。そのひとつがのちにハリスコ新世代カルテルになる。201810月、アメリカ合衆国財務省はこのカルテルを、メキシコ最大で、世界でももっとも危険な5つの麻薬密輸組織のひとつだと発表した。このグループはメキシコ国内の少なくとも半分の領土を支配し、アメリカ大陸、アジアそしてヨーロッパにコカインと覚せい剤を密輸している。

タラで行方不明になっている人たちのために行われたミサ。

しかしこのために神父は脅迫を受け、村を後にしなければならなかった。

 

 

 

良心を打ち砕く

 

 カルテルのためには働かせるために若者たちを行方不明にするというのは、思い付きでやっているのではない。状況に詳しいタラの住民のひとりによると、若者たちを虐待し、拷問し、のちに自分たちの仲間を殺させ、焼かせるのは、心の調和や良心を打ち砕き、カルテルの一員にさせるための作戦だという。犠牲者から加害者になるように。ルイスも供述のなかで、生き残るために犯罪者たちの信頼を得るようにしなければならなかったと述べている。最終的に、カルテルは服従しないものや自分たちの役に立たないものは殺すのだった。

 

 

 

 ――ボスに近づく機会を見つけた。何があってもあの山の上で虐待されたり殺されたくなかった。生き残りたいと思っていた。ボスたちとしゃべるようになり、いいところを見せて信用を得ようとした。ガンマンたちがあちこちにいた。生き残りたいものは皆、殺られないために目立とうとしていた。地獄で生き残ろうとするためのやり方に疑問がわき、怖くなった。殺されないために、仲間たちと一緒にますます深みにはまって行った気がした。しかし同時に、私はひとつの大きな賭けに出た。私は信用されていたが、もし戻らなかったら裏切り者とみなされるだろうからだ。

 

 その時、自分の人生の中で最悪のことが起きた。2時ごろ、地域ボスの「エル・サポ」の声が耳に入った。「おいバカ者ども、誰がここから出ていきたい? 3000ペソと休暇をやる」。大丈夫かどうかためらいながら、何人かが手を挙げ始めた。メキシコ州から来た3人と、私と一緒に来たイグナシオという名前の小太りの男、ドゥランゴ州の元軍人2人、グアダラハラ出身の17歳の少年、サポパンの元警官、あと何人か名前を知らない者たち、それから休暇から帰ってきた「エル・カトラチョ」もいた。「エル・モホ」が手を挙げても大丈夫かと尋ねたところ、大丈夫だと言われた。ホンデュラスの息子に会いに行きたいのだと言った。サポは、「もういいだろう。すぐに行けるぞ」と言った。私はその全員の顔を知っている。全部で14人だった。寝室の前の小屋に座らされ、動かないようにと言われた。それ以外の者たちは別の小屋に座らされた。

 

 アメリカのナンバープレートのついたグレーのシボレーのピックアップトラックが来て、拳銃を持った男2人が降りてきた。その一人は「エル・グレニャス」と呼ばれるサポの右腕の男だった。年齢は20歳か21歳、童顔の青年だ。そいつが行きたいという者たちに叫んだ。「さあお前たち、全員たたかい合うんだ」。そうしてみなたたかい始めた。倒れたものは死ぬ。最初に倒れたのは「ラ・ハイナ」と呼ばれる男で、身長170㎝と小柄で、鼻が大きく、顔が大きく、肌は白く、毛深く、グアダラハラ出身の貧しい男だった。殴られてひざまずいた。銃弾が浴びせられた。それから「グアチート」という男。背が高く、鼻が大きかった。撃たれそうになった時、身を守るように両手を上げ、「ノォーーー!」と叫んだ。銃弾が2発撃ちこまれた。それから、「ノパル」、「トーニョ」、「チュチョ」、「エル18」が全員に発砲した。殺されたなかには元警官もいた。最後に残ったのが17歳の少年で、両足の間に両手を挟み、うなだれて震えていた。生きていたので男たちは近寄って見に行った。「エル・ピタヨ」がこう言った。「この馬鹿どもに、お前は行きたいと言えと言われたんだな」。震えながら少年は、「はい」と答え、泣きながら「妹と母親に会いに行きたいんです」。銃弾が1発撃ち込まれた。死者の中に、最初の日に一緒に来たイグナシオもいた。それからエルネストも。タコス屋の青年も、背中から撃たれた。全部で死者は15人になった。怖くて行くと言い出せなかったわれわれは、死体を運ばされた。非常に重い人もいたので、1時間半もかかった。遺体を焼却する場所まで、引きずって運ばなくてはならなかった。

 

 

 

 遺体を焼却することを、彼らは「トウモロコシの芯にする」という。森林地帯で雨季にマツやカシノキの間を流れる水によって地面にできる溝を利用する。赤みを帯びた土の上に薪を置き、その上に遺体を間隔をあけて積み上げ、ガソリンをかけて火をつけ、焼け焦げた骨とズボンのバックルやボタンといった金属製品だけになるまで焼く。証人たちはこれと同様な穴をほかにも見たことがあると述べたが、場所は特定できなかった。そのような場所では遺体が早く焼けるように入れた化学物質の臭いがするという。

 

 ルイスがハリスコ州検察で行った証言によると、エル・サポは何日か後、無線で話し、こう言った。「さて、まぬけども、誰か休暇に行きたいものはあるか?」。ルイスは考えた。「待っていた時が来た。ずいぶん長い間奴らと一緒に地獄のような日々を送ったが、これで自由になるぞ」。「エル・チョロ」が2列に並ぶよう命じ、一人ずつに2000ペソくれた。日が暮れ、15人ずつのグループになって山を下りた。

 

木の枝などで屋根を覆って、上空から発見されないようカモフラージュされた野営地。

 

 

 ――われわれはタラで降ろされたが、警察がたくさんいて緊迫した状況だった。軍隊がいるガソリンスタンドの脇を歩いた。私はリーダー格だったので、みな私についてきた。軍隊は私たちを停止させもせず職質もしなかった。近くにホテルがあった。中に入ってチェックインした。逃げる時にタクシー運転手に怪しまれないよう、シャワーを浴びた。ホテルは私たちでもう満室になっていた。私たちはもらった金で支払った。私は風呂に入って服を濡らした布でふいてきれいにした。仲間たちが、一緒にバーでビールを飲もうと私の部屋のドアをノックした。皆が眠り込んだら逃げ出そうと考えていたが、皆、店の女が売っていたクリスタルをやり始めた。()皆が盛り上がっている間に、私は荷物を手に外に出て、タクシーを拾い、外国に住んでいる親戚に電話をかけた。何が起こったかを話し、帰ることはできない、見つかったら殺される、逃げる手助けをしてほしい、と言った。

 

 

 

 この地獄から帰還し、メキシコ最大のカルテルに成員に関して証言した人たちには、安全を保障するための措置が取られた。それでもなお、逃げなければならなかった。名前も身分も変え、その後の行方はわからない。ハリスコ州政府は野営地で発見された焼死体の身元を発表することはなかった。また地域のほかの秘密墓地を捜索することもせず、強制リクルートされたほかの野営地の若者たちを救出しようともしなかった。

 

 今もカルテルは若者たちをリクルートし続け、縄張りを支配し続けている。ハリスコ州南部でもミチョアカン州との境界でも、行方不明者の家族は匿名で、麻薬の製造工場やケシの栽培地で強制労働させるために、連れて行かれたらしいと語ってくれた。タラ周辺の住民は、自分たちの家族や知人が連れて行かれた地獄は、地下にではなく、もっと上の方、山地の頂上のあたりにあることを知っている。知っているが、沈黙を守っている。