北東部国境、「戦争」地帯への旅

ウエフットラの市場で売られる伝統的な刺繍ブラウス
ウエフットラの市場で売られる伝統的な刺繍ブラウス

2014年夏、首都からメキシコ湾岸沿いのルートでアメリカ国境へと旅してみた。グアテマラからユカタン半島、そして米墨国境の街マタモロスまで、メキシコ湾岸地域といえば、その名も恐ろしいロス・セタスの支配地域。何が起こるかわからないが、行ってみなければもっとわからない。とりあえず留学時代の人類学の恩師にたずねてみると、ワステカ地方の先住民族の村々はいたって平和だという。人々の話題といえば、今年は雨が少なくて収穫が悪いなど、まったく昔と変わらないとか。本当だといいが。

 

昔ながらの暮らしが続く先住民地域

まずは首都からバスで約7時間、以前人類学調査のために住みこんでいたイダルゴ州北部の街、ウエフットラ近郊の先住民族の村へ。村では若い世代が都市に出ていく傾向は変わらないが、それでも以前と変わらずトウモロコシを育て、ニワトリを飼い、小商いをして家族が助け合う、昔ながらの暮らしが続いていた。地元の人たちによると、隣り合うベラクルス州では凶悪な事件が多発していても、この地域ではナルコがらみの事件はほとんどないという。「あまりにも貧しくてナルコも来ない」というが、こんな穏やかなメキシコも健在なのだ。

 そんな平和な街にもかかわらず、市場の外れにムエルテグッズを売る店を見つけた。ドル札を全身に張り付けた、悪趣味の極みのようなムエルテ像が店先を飾っている。これが金のためなら何でもやる人たちがやってくる前触れでなければよいが。


ウエフットラから夜行バスで約12時間、北部の先進工業都市モンテレイへ。かつては治安がよく暮らしやすい街で、この街の高級住宅地区にはメキシコでも一番の金持ちが住んでいることで知られていた。もちろん、争いを避けたいナルコのボスたちの家族も。ところが2010年以降、ロス・セタスとゴルフォ・カルテルがこの街の支配権を巡って争うようになり、銃撃戦が起き、ギャングが道路封鎖を行い、多くの飲食店が焼き討ちに遭うなどして多数の犠牲者が出た。最近は大きな事件の報道はないとのことだが、マスコミに出ないだけかもしれない。モンテレイの長距離バスのターミナルの前には装甲車が停まり、黒やオリーブグリーンや迷彩色などさまざまな制服の兵士や警察官が巡回していた。

モンテレイで友人たちに会って名物の仔羊料理をご馳走になり、さらにバスで北へ。北部の国境の街、レイノサまで、灌木が生えるだけの半砂漠の平原を約3時間半。途中、何もないところでバスが停車すると、ごつい体格の兵士が乗り込んできた。

「さー、全員降りてチェックさせてもらおうか。外は暑いぞ~。ハハ、まあやめとこう」

窓の外を見ると、ライフルを抱えた重装備の兵士が数人。軍の検問だった。メキシコらしくジョークですませてくれたが、この国は戦争中だったのを忘れてはならない。

 

カルテルが支配する街

国境の街、レイノサ。埃っぽい田舎のターミナルといった風情で、周辺には土産物の屋台と安宿とスーパーくらいしかない。ターミナル前のレストランで少し離れた場所の安宿を教えてもらい、チェックイン。宿の主人は親切で、部屋もそこそこ静かそう。どこかで昼食でも、とホテルを出て歩き始めると、後ろから若い男が呼び掛けてきた。振り向くと、マイクロフォンで何か話しながら、こちらを追いかけてくる男がいた。

「身分証を見せろ」という。「警察? だったらそちらが先に身分証を見せなさい」というと、「われわれはカルテルのものだ、街を見張っているのだ」冗談でしょ?

「どこのカルテル?」と聞くと、「ゴルフォだ」。すぐ後ろに四輪駆動車が来て、助手席の男が携帯で話しながら、「われわれは犯罪者が入りこまないように街を警戒しているだけだ。やろうと思えばなんだってできる。パスポートを見せろ」という。男の丸々とした太い腕にはびっしりと刺青が。観念してパスポートを手渡した。

刺青男は日本人か、と珍しがって、「アメリカに行くのか? ビザはないのか? 泳いで向こうに渡るのか?」と聞く。日本人はアメリカに行くのにビザはいらない、というがなかなか信用してくれない。刺青男はさらに携帯でどこかと連絡を取り、まあいいだろう、とパスポートを返してくれた。返す前に「何歳だ?」ふん、そこに書いてあるでしょ。「女性にはそれは聞かないものよ」と笑って答え、一緒に写真撮っていい? とたずねたが、もちろん断られた。

あとで宿の主人にその話をすると、「大丈夫、やつらは何もしないから。金も取らない。街の治安を守ってくれているんだ」と笑っていう。カルテルが街を支配するとは、そういうことなのだ。国家に代わって警察の役割や収税もカルテルがやり、市民と共存する。どこの誰が街に来て、どこの宿に泊ったのかもカルテルはすべて情報を得て、実際何でもできるのだ。安宿にひとり泊まっている日本人女を身ぐるみ剥いで河に捨てる、なんてことも。改めて背筋が寒くなった。

ちなみにタマウリパス州の国境の街のなかでも、レイノサとメキシコ湾岸のマタモロスはゴルフォ・カルテルの支配地で、西のヌエボ・ラレドはロス・セタスが支配する。それぞれ、どのカルテルが街を支配下に置くか決着がつくまで抗争が続き、残虐な報復合戦が続く。抗争は対立カルテル間だけとは限らず、内部抗争もしばしばなようだ。

 

国境をまたぐ3つの世界

 幸い何事もなく朝を迎え、国境の橋へ。緑色の淀んだ水をたたえたリオ・ブラボー(アメリカ側ではリオ・グランデと呼ぶ)のアメリカ側の岸では、ボーダーパトロールらしい人々が、ジープや四輪バイクのような乗り物で茂みを出入りしているのが橋の上から見えた。橋を渡り切ったところのアメリカの入国管理局には50mくらいの人の列があったが、30分も待たないうちに順番がきた。周りの人に聞くと、日曜なのでふだんより人が少ないということだが、ここでの国境の人の往来は、シウダー・フアレスやティフアナほど多くはないようだ。マッカレンで人に会う、と適当な話をして入国税7ドルを支払った。

入管を出たところはテキサス州マッカレンだが、そこにはレストランとスーパーと銀行くらいしかない。せっかくだからとバスで中心街方面に行く。途中、道路の両側に見えるのは、中古車販売店、自動車部品店、衣類のリサイクル店など、メキシコ人向けの店ばかり。バスを降りたターミナルにも、メキシコ人向けの衣類や生活雑貨などの大型卸店が並ぶ。この街の経済は、メキシコ人の買い物ツアーに大きく依存しているという。街並みも建物も小ぎれいで清潔で、国境のすぐ南の、くすんで古びた建物や埃っぽく猥雑な雰囲気とは対照的だ。

マッカレンのバスターミナルから、レイノサに帰るバスに乗る。乗客はほとんどがメキシコ人だった。20分ほどで国境の橋に。降りてパスポートチェックかな、と思っていたら、バスのトランクが開けられて税関職員がざっと見まわしただけ。バスはそのまま国境のゲートをくぐって、レイノサのバスターミナルへ。アメリカからメキシコに入国するのは何と簡単なことか。

 

ターミナルからホテルに戻る途中、前日声をかけてきた若い男が所在なげに道角で座り込んでいるのが見えた。名前は「カルロス」だといった。組織ではたいてい呼び名で呼ばれるものなので、本名ではないだろうが。彼のようなカルテルの見張り役は「アルコン(タカ)」と呼ばれ、組織の最下層に位置付けられる。ロス・セタスが小学生の女の子を見張り役に雇っていた、という新聞記事を読んだことがある。

声をかけると親しげに挨拶をしてくれて、近くにいた奥さんにも紹介してくれた。この街には角ごとに彼のような見張り役がいるのだそうだ。なんでカルテルで働くようになったのか、とたずねると、以前はコンビニの店員をしていたが、週800ペソ(6400)にしかならず、妻と子ども3人を養っていけないのでこの仕事についた、まだこの仕事を始めて数か月だという。

「稼ぐためにはリスクも負わなくちゃ。仕方ない」と笑った。レイノサは地方からの移民が多いが、カルロスは両親とも地元出身で、自分は小さいときからアメリカに10年暮らしていたが、母親が亡くなったのをきっかけに地元に戻ったのだという。それにしても、カルテルの人とこんな普通の会話が交わせるとは…。

 

この日はもう夕方のメキシコシティ行きの飛行機を予約してあったので、ホテルに戻るとさっそくタクシーを呼んでもらった。時間に余裕があったので、タクシー運転手に頼んで街を案内してもらうことにした。運転手はレイノサで働いてもう10年になるベテランだった。まずは修道女らが運営する「移民の家」という施設。メキシコを縦断する厳しい旅の末、レイノサまでたどり着いた中米出身者や、逆にアメリカで捕まったが金がなくて本国まで送還されず、国境の南に送り込まれた中米人らが、この施設にやってくるのだという。移民たちには無料で食事と寝る場所が提供されるが、ずっと中にはおれないので、建物の外の日陰で時間をつぶす人が、多いときで数十人にもなるという。近くのリオ・ブラボーの河岸には、河でおぼれ死んだ移民らを悼む白い十字架が建てられていた。川幅は30mもないように見えるが、水深が深いのだそうだ。そのすぐ横には「ワニに注意」の看板も。コヨーテと呼ばれる密入国あっせん人は、パトロールの交代の時間などを知っていて、アメリカ側の厳しい監視の目をかいくぐって河を渡らせるのだという。

 

次に案内されたのが、河沿いにトタン板や木の板を合わせただけのように見えるバラックが並ぶ地区だった。よそから流れ着いた人たちが住み着いた場所で、犯罪者の巣窟だったが、カルテルが見張るようになってからよくなった、と運転手。カルテルは警察と同様、犯罪者をとらえれば、1回目は説諭だけで放免する。だが2回目に捕まると腕などを切り落とすのだという。

街で一番の金持ちが住む地区にも連れて行ってもらった。しかしここがそうだといわれても、無駄に広い道路に塀ばかりで中は何も見えない()。1軒だけ、博物館のような豪華な建物が見られた。そこは運送会社の所有者でこの街一番の金持ちファミリーの自宅だった。しかし実際には、ほかの豪邸と同様、普段住んでいるのは使用人たちだけだ。所有者らは安全な国境の北側に暮らし、子どもたちも向こうの学校に通っているのだとか。

 

最後に訪れたのが、空港近くに広がる工業団地。ほかの国境の街と同様、1994年の北米自由貿易協定以降、政府によって広大な工業団地が整備され、外国企業の誘致が行われた。レイノサには、富士通やパナソニック、ミクニなど多くの日系企業が進出している。大部分がアメリカ東海岸の都市に近いという地の利を生かした自動車や工業製品の組み立て工場である。カルテルは外国企業に手を出すと、地元企業家の怒りを買い、政府からたたかれることになるので、手出しをしないのだそうだ。工業団地の周辺には、これも政府が建設した公団住宅が建ち並ぶ。

運転手の話では、工場では食堂で3食無料で提供され、公団住宅のローンは20年分割で毎月の給与から差し引かれ、さらに勉強したい若者には夜間の大学などに通える制度もあるという。工場の入り口に求人広告を張り出しているところも目につく。交代勤務は確かにきついだろうが、まじめに働けば家族とともにそれなりに暮らしていける。仕事がないからカルテルに入る、とばかりは言えない。

 

ここレイノサには、アメリカ東海岸の都市を目指し、中米や国内各地から不法移民として河を渡ろうと無数の人々がやってくる。麻薬も同様である。蛇の道はヘビ。それを仕切れるのはカルテルしかない。国家権力は実質上及ばず、カルテルが市民生活と共存している。その一方で、街の郊外にはグローバル企業が最新の設備を備えた工場を展開し、勤勉なメキシコ人低賃金労働者の汗を吸い上げる。そして国境の河の向こう側には、小ぎれいで安全なアメリカの地方都市。そんな3つのまったく違う世界が背中合わせに存在する。グローバル化と新自由主義が作りだしたパラドックスである。