ミチョアカンの戦争 ―カルテル・ランドー

 

ミチョアカンの戦争 (20132月~20145月)

 

 

 

 20165月公開予定のドキュメンタリー映画『カルテル・ランド』(監督・製作・撮影・編集マシュー・ハイネケン、製作総指揮キャスリン・ビグローほか)。

 これが描いているのが、まさにこの「ミチョアカン戦争」である。メキシコ中西部のミチョアカン州は、20132月から1年余りの間、中部の「熱い土地 Tierra Caliente」と呼ばれる地域を中心に自警団が各地で結成され、文字通り戦争と呼んでいい暴力的な状況にあった。メキシコ人ジャーナリストの多くは怖くて寄り付くこともできず、国内メディアの報道もごく限られていた中で、若く野心的なアメリカ人監督が、カメラを片手に銃撃戦のど真ん中に乗り込んでいった、というもの。アカデミー賞ドキュメンタリー部門にノミネートされ、前評判は高かったのだが、受賞には至らず。はっきり言って、メキシコ麻薬戦争の実態とミチョアカンという地方独自の事情をある程度でも知っていないと、ただの暴力シーン満載の筋書きがよくわからないサスペンス映画に見えてしまう。

 

 さらにドキュメンタリーでは、トランプばりに移民嫌いのアメリカ人右翼おじさんが、アメリカ国境で武装自警団を結成し、メキシコ人や中米人の不法移民を追い返す活動をしているのも並行して取材している。これもまた、話の筋を追うのをややこしくしている。

 

 映画のパンフレットのために書いた解説が長すぎる、とカットされてしまったので、ここで改めてミチョアカンの戦争についてもう少し長い解説を書いてみたい。

 

 

 おもに参照したのは、次の2つ。ほかにもネット新聞、週刊誌「Proceso」の記事なども。ホセ・ヒル・オルモスのルポは、このミチョアカンの抗争を詳しく取材しており、またこの地域の歴史から社会背景までフォローしていて、状況を理解するのに役立った。

 

José Gil Olmos, Batallas de Michoacán, Proceso, 2015

 

CNDH, “Informe especial sobre los grupos de autodefensa en el estado de Michoacán  y las violaciones a los derechos humanos relacionadas con el conflicto”(PDF). 2015.11.12

 

 

 

報道されない「戦争」

 

 201511月に、メキシコの国家人権委員会(CNDH)が「ミチョアカン州における自警団グループとその紛争に関係した人権侵害に関する特別報告」と題する現地調査の結果を発表した。それによれば、ミチョアカン州での紛争で何らかの被害をこうむった人は、2014年の調査時点で3000人あまり。そのうち、殺害されたのが472人、誘拐の被害者が524人。これらは、この地域がテンプル騎士団カルテルに支配されていた2010年頃からの数字だが、まさに「戦争」といってよい状況だろう。抗争に絡んだ死者も行方不明者の数も正確なものはない。犯罪組織の側に死者が出た場合、組織メンバーが仲間の遺体を持ち去ることが多く、また市民のほうも当局への不信から、殺害された家族の死亡届を出さないこともあるのである。

 

 ここで大まかに、この「ミチョアカン戦争」の概要を述べておこう。

 

 始まりは2006年、就任直後のカルデロン元大統領が、「麻薬密輸組織を撲滅する」を宣言すると、真っ先に軍と連邦警察をミチョアカン州に派遣した時にさかのぼる。ミチョアカンが最初の作戦展開地として選ばれたのは、カルデロンの出身地であるのと、麻薬密輸組織間の抗争が激化して、多くの死者が出ていたことによる。

 

 このころ、ミチョアカン州は中部の「熱い土地Tierra Caliente」と呼ばれる乾燥した亜熱帯の農村地帯を中心に、「ファミリア・ミチョアカナ」が勢力をふるい、対立する「ロス・セタス」との抗争で双方に多くの死者を出していた。同時に、一般市民に対しても誘拐やみかじめ料の取り立てなど、暴力を振るうようになっていた。

 

 派遣された政府軍が何人かの組織リーダーらを逮捕や殺害をし、「成果があった」として、北部の国境地帯に移動してしまうと、ミチョアカンは再び陰惨な抗争状態に戻り、ファミリア・カルテルによる暴力的な支配はさらに悪化した。警察も軍も当てにできない、自分たちの家族は自分たちで守るしかないと、20132月、市民が自衛のために武装した「自警団autodefensa」がいくつかの町で立ち上がった。そのリーダーのひとりが、地元の医師、ホセ・マヌエル・ミレレスで、巧みな弁舌でカリスマ的な人気を博していく。

 

 当時、ファミリア・カルテルからおもだったボスらが分離してできた「テンプル騎士団」が地域を支配していたが、自警団と連邦警察・軍は協力して、これを追いつめ、20142月には、ついにテンプルが根拠地としていた「熱い土地」地方の中心地、アパツィンガンを占拠するに至った。ボスらの多くは、20152月までにほぼ逮捕や殺害され、ミチョアカン州からテンプルの影響力を大きく後退させることができた。

 

 犯罪組織vs武装蜂起した市民による自警団、そのたたかいが後者の勝利に終わった…しかしミチョアカンの戦争の実態は、そんな単純な美談には終わらない。自警団が所持する高性能なライフルをはじめとする武器はどこから来ているのか? 自警団メンバーはそれぞれ仕事をもつ一般市民だというが、訓練や見張りや出動など、活動はボランティアばかりではやっていけない。その費用はどこから出ているのか? 自警団には怪しげな影が付きまとっている。

 

 武力抗争が一段落した2014年、連邦政府は自警団を「地方防衛隊Fuerza Rural Estatal」に再編し、合法的存在に転換しようとした。しかしこの合法化を巡って自警団リーダーの間で確執が起こり、合法化に反対した自警団のスポークスマンであったミレレス医師は逮捕されてしまう…。

 

   

 

 国家人権委員会の報告書は、このミチョアカンの戦争を次の4つの時期に分けている。

 

 第1: 2006年のカルデロン大統領による「ミチョアカン合同作戦」展開後、暴力的状況が悪化、201112年にテンプル騎士団による脅迫・勇気・殺人などの被害者数はさらに増加。

 

 第2: 2013224日の自警団の立ち上げから、テンプル騎士団の大部分を打倒するまで。

 

  : 2014115日、「ミチョアカン州の治安回復と総合的発展のための委員会(Comisión para la Seguridad y el Desarrollo Integral en el Estado de Michoacán)」が発足してのち。

 

 第4期: 2014513日、自警団の一部を地方防衛隊として再編してから、2015122日、委員会の廃止まで。

 

 

 

カシケが支配する「熱い土地」

 

 ここで改めて、ミチョアカンという土地の特徴とその歴史についてみてみたい。ミチョアカン州は、メキシコ中西部、太平洋に面した州で、人口は約460万人、全国(31州と連邦府)9番目に人口の多い州である。貧困率も高く、2015年のデータで人口の59%が貧困レベル以下にあるとされ、これは全国で5番目に高い数字である。しかし、メキシコでは平均値というものはあまり役に立たない。地域や階層格差が大きすぎるからである。

 

ミチョアカン州の場合、州都のコロニアル都市、モレリアや観光地として知られるパツクアロのある北部は、気候も穏やかで過ごしやすく、治安の心配も少ない。それと対照的なのが、中部の「熱い土地」と呼ばれる乾燥した亜熱帯の谷あいの農村地帯である。土地は肥沃で、主食のトウモロコシのほかレモン(日本でいうライム)などの果樹、なかでも最近はアボカドの生産が成長してきている。アボカドは国内生産の90%を占め、その大部分が国外輸出向けである。日本のスーパーに並ぶアボカドも、ほとんどがミチョアカン産なのだ。

 

この地は、古くからカシケと呼ばれる大地主が土地と地元の政治経済を握ってきた。一方、人口の大部分を占める土地なし農民には、地元でまっとうな収入が得られるような就労の機会は少ない。貧しい家庭に育った若者にとっては、地元でレモンなどの収穫労働者として働くか、不法移民としてアメリカに渡るか、あるいは犯罪組織の仲間になるかしか選択肢がないのが現状である。

 

ちなみに、メキシコ国内で麻薬栽培が盛んな地域で、メキシコ黄金の三角地帯と呼ばれるのが、北部のシナロア・チワワ・ドゥランゴの3州。2度も脱獄した世界の麻薬王として有名なチャポことホアキン・グスマンが支配した地域である。それに次ぐ麻薬栽培地帯で、小黄金三角地帯とも呼ばれるのが、このメキシコ中西部のミチョアカン・ゲレロ・メキシコの3州にまたがる西マドレ山脈周辺地帯である。マドレ山地周辺の街や村では、誰でも身近に麻薬栽培や密輸にかかわった人物がいる、という土地柄である。

 

麻薬栽培がこの地域に入ってきたのは、19世紀にさかのぼる。この地で鉱山開発が始まり、重労働の鉱山労働者の苦痛を和らげるために麻薬が売り買いされるようになったといわれる。その後20世紀半ば、第二次世界大戦中にアメリカ合衆国で麻薬需要が高まると、この地域の辺鄙な山間部でも、トウモロコシ栽培の合間にマリワナやアヘンゲシが栽培されるようになった。最初は家族単位で栽培から密輸までささやかに行っていたものが、徐々に栽培規模が拡大し、地域を仕切るマフィアも現れてくる。

 

1980年代、南米コロンビアのカルテルが仕切っていたコカイン密輸のカリブ海ルートが、ロナルド・レーガン政権の軍事作戦によって壊滅させられ、密輸がメキシコ経由に移ってくると、ミチョアカンはさらに活気づいてくる。ミチョアカン南部のラサロ・カルデナス港は国内でも有数の商業港で、南米からコカインを積載した船が寄港し、のちには中国やヨーロッパからの覚せい剤原料が荷揚げされるようになる。自分たちで覚せい剤を製造できるようになると、さらに多くの利益を上げることが可能になった。ミチョアカンの地元マフィアは、北部の様々なカルテルと組んで国境の北に麻薬を送った。麻薬で得られた資金の一部は、特産のアボカド栽培などにも投資され、地域の活性化につながった面もある。

 

だがそこは、カシケという地域ボスがすべてを牛耳るという封建的な土地柄である。麻薬マフィアと地主や企業家、政治家は当然のように癒着し、一体化してくる。ミチョアカン州の歴代知事は、みな地元マフィアとの関係が指摘されている。大物マフィアも自警団のリーダーらも、多くは地主階級の出身である。成り上がりもののマフィアも、土地や農園を買ったり無理やり奪い取ったりして、地主の仲間入りをする。マフィアも地元の名士として、祭りや慈善事業に気前よく資金を出し、貧しい農民に金を貸し、地元民の信頼を得ていった。これが、この地で生まれたカルテルの強みとなっている。

 

 

 

ファミリア・ミチョアカナとテンプル騎士団

 

 2014年当時、ミチョアカン州で勢力争いをしていた犯罪組織には、テンプル騎士団、ファミリア・ミチョアカナ、ハリスコ新世代、ベルトラン・レイバ、ロス・セタスなどがある。そこに地元の小グループがさまざまにからんでくる。

 

 このなかでとくに異彩を放つのが、ファミリア・ミチョアカナとその後身のテンプル騎士団である。ファミリア・ミチョアカナは2006年に結成され、かつて自分たちが協力関係にあったロス・セタスを追い出すため、激しい抗争を展開し、セタスメンバーの男性5人の切断した頭部をディスコの床に転がすといった残虐な見せしめ行為も繰り返していた。その一方で、自分たちはよそ者の犯罪者から市民を守る自警団であると称し、地元新聞に公告を出し、また実際に無職の若者たちに仕事を与えたり、麻薬中毒患者のためのリハビリ施設を設立したりもした。しかしその後、ロス・セタスを州内から追放し、ミチョアカン全土をほぼ支配下に置くと、あるとあらゆる商売や取引に「税金」をかけ、みかじめ料を取り立てるようになった。それに抵抗するものは見せしめに殺害されたり、行方不明になったりした。

 

中心メンバーは、「エル・マス・ロコ(大狂人)」「エル・チャヨ」などと呼ばれるナサリオ・モレノ・ゴンサレス、元教師であることから「ラ・トゥタ」と呼ばれるセルバンド・ゴメス・マルティネス、「エル・チャンゴ(サル)」ことホセ・デ・ヘスス・メンデスらである。

 

ファミリア・ミチョアカナは、麻薬密輸組織であると同時にキリスト教系新興宗教の教団でもあるという特異な組織でもある。ボスのひとりである「大狂人」ことナサリオ・モレノは自ら「聖書」を著し、冊子を大量に印刷して組織の関係者に配って読ませ、自分たちの戦いは郷土を外敵から守る「聖戦」であるとして残虐行為を正当化した。

 

201012月、当時のカルデロン政権は、ナサリオ・モレノは当局との銃撃戦の末死亡したと発表し、組織側も同様の声明を出した。モレノの遺体は組織が運び去ったので、本当に死亡したのかどうかという疑問は残っていた。その後、組織はモレノを聖人にまつり上げ、支配する村や町に「聖ナサリオ」の礼拝堂を建てさせ、胸像や立像をまつらせた。像の中には金箔を施し、宝石で飾り立てたものもあった。礼拝堂はミチョアカンだけで113の村や町にあり、ゲレロ州やメキシコ州などにも存在したという。2013年に自警団が軍や警察とともにこれらの地域に侵攻すると、これらの礼拝堂や像は当局の手によって次々に破壊された。しかし聖人になったモレノは、実際にはまだ生きていたのだ。20143月、ミチョアカン州中部のアパツィンガンの山地に隠れているところが発見され、軍によって殺害された。

 

2011年、ファミリア・ミチョアカナは内部分裂し、主要なボスらはテンプル騎士団を名乗った。神秘的なイメージの中世の騎士修道会の名前を借りているが、実態はファミリアと変わらず、ファミリアの残党を州内から駆逐すると、さらに組織を強固なものにした。当時、テンプル騎士団は民間企業に似たピラミッド型の組織形態を構築し、メキシコ国内でも有数の洗練された形態の犯罪組織とされた。複数のトップらによる役員会が全体の指揮にあたり、政治家や他の組織とじかに交渉を行い、その下に国内外の企業と交渉する部門、各業種の組合や農民団体などと交渉する部門もあった。さらに実働部門が殺し屋や見張りなどを統括した。地元の警察官から無職の若者、靴磨き、タクシー運転手などあらゆる人々が組織の下働きや見張り役として組み込まれた。

 

州や街の行政や警察組織においても、組織の人間をポストに就けさせ、内側から組織をコントロールした。こうして犯罪組織が、治安維持から「税金」の取り立てまで行う、「パラレル国家」の様態を見せるまでになっていた。当時、この組織はすでに、麻薬の生産や密輸よりも、それ以外のさまざまな違法行為から得る資金の方が多くなっていたという。

 

 

 

あらゆる経済活動を支配下に

 

201311月、海軍がラサロ・カルデナス港を封鎖した事件は、テンプル騎士団の威力のほどをうかがわせるものだった。ミチョアカンは国内でもっとも多くの鉄鉱石を産出するが、そのほとんどは世界第2の経済大国、中国に輸出されている。カルテルは、鉱山企業からみかじめ料を取り立て、輸送トラック組合を支配下に置き、違法採掘した鉄鉱石を格安でカルデナス港から中国に輸出し、膨大な利益を上げていた。海軍がラサロ・カルデナス港を包囲すると、税関職員も地元警察官も全員、犯罪組織に協力しているとして一時的に職務を停止された。当時のバジェホ州知事によると、カルテルはこれらの違法な活動によって年間20億ドルの資金を得ており、それはミチョアカンの州予算の半分近い額に当たるという。輸出された鉄鉱石とバーター取引で大量の覚せい剤原料が中国から運び込まれたともいわれる。

 

テンプル騎士団のもうひとつの大きな金づるが、ミチョアカンの「緑の黄金」と呼ばれるアボカドである。アボカド栽培農家への「税金」の取り立てが始まったのは、2010年ごろだという。アボカドの樹1本につき何ペソと犯罪組織が決めた貢納金を支払わされ、採算ぎりぎりの中小の栽培農家の多くは苦境に陥った。農畜水産省の管轄下にある植物検疫委員会と結託しているため、どの農家が何本のアボカドの樹を持っているか、すべて把握しているのだった。違法伐採した山林を焼き払い、アボカド畑に転換したりもした。組織は買取から輸出まで、アボカドの流通をすべてコントロールし、安く買い取った生産物を高値で輸出して大きな利益を上げた。日本に輸入されているアボカドも、例外ではなかったのだ。

 

地元産業で犯罪組織の餌食にならなかったものはない。ミチョアカンのもうひとつの主要農産物のレモンもテンプルに翻弄され、一時はメキシコシティのスーパーに並ぶレモンの価格が異常に高騰したこともあった。レモンはメキシコ人の食卓には欠かせない食材で、ミチョアカンはその主要な生産地のひとつである。組織は、生産農家を恐喝して貢納金を支払わせるだけでなく、貧しい収穫労働者の賃金の4分の1もの上前をはね、価格操作のために労働者が働ける日を限定するなどもした。犯罪組織の横暴を訴えようとした労働者らは、逆に逮捕され、また殺害されたり行方不明になったりした。

 

鉄鉱石や農産物に犯罪組織が目を付けたのには理由があった。麻薬密輸と違って、合法の産業活動で得た資金であれば、資金洗浄をする必要がないのである。マネーロンダリングにかかる手間と費用が省ける点が、組織にとって大きなうま味だった。犯罪組織の暴力的な「課税」はあらゆる生産活動におよび、また所有する不動産や車・トラックなどにも「税金」が課せられた。主食のトルティージャ(トウモロコシの薄焼きパン)までも価格操作され、値上がりした。

 

 

 

自警団の真実

 

このような犯罪組織の暴虐と政府の無策に業を煮やし、「もう我慢できない!」と立ち上がったのが自警団だった。2013224日、「熱い土地」地方の複数の街で最初の自警団の設立が宣言された。メンバーの中心となったのは、地元の農園主や牧場主らである。しかし、これほどまでに強大で、政府でさえも手を出しかねる武装組織に、銃の扱いもおぼつかない民間人が立ち向かって勝利することなど、ありえたのだろうか?

 

発足当初、地元の人々のなかには、自警団に不信の目を向ける向きがあったという。かつてファミリア・ミチョアカンも、州から犯罪者を追い出す自警団だと称していたことから、同じことが始まったのではないかと疑ったのだ。その疑いは、けっして根拠のないものではなかった。実際、自警団には隣接するハリスコ州を中心に勢力をもつ「ハリスコ新世代・カルテル」に関係するマフィアが、設立当初から入り込んでいた。

 

ジャーナリストのホセ・ヒル・オルモスは、自警団立ち上げは、軍部とペーニャ・ニエト政権の陰謀だったと断じている。黒幕は、当時政権の軍事顧問だったコロンビア人のオスカル・ナランホ将軍で、コロンビアのメデジン・カルテルの大ボス、パブロ・エスコバルを打倒した経験から、民間人を武装させ、テンプル騎士団と敵対する犯罪グループと協定する作戦を提案したのだという。毒を以て毒を制する作戦。自警団立ち上げを前にした話し合いの場に、ナランホ将軍が参加していたという目撃証言もあり、また組織犯罪の前科のある男らが兵士とともに自警団参加者に武器と制服の白シャツを配布していたという。

 

自警団がテンプル騎士団の支配する街に侵攻した際には、軍・連邦警察との連携作戦が行われた。まず自警団の中の前衛部隊が、軍・警察に援護されて突入する。自警団が組織メンバーをひとりずつ捜索する間、連邦軍は敵が逃走しないように街を包囲するのである。自警団側の飛躍的な勝利の報道に、人々は感嘆しながらも首をかしげたものだった。ヒル・オルモスの陰謀説は状況証拠しかなく、憶測の域を出ないが、結果から見れば、そうだったかもしれないと思わせるものがある。

 

 自警団のイメージが刷新されたのは、当時55歳で外科医のホセ・マヌエル・ミレレス医師がスポークスマンとして現れてからである。カリスマ的な弁舌とルックスの良さで、一躍、国内外のメディアの注目を集めるようになった。ミレレスの前歴についてはあまり知られていない。かつてマリワナの違法栽培の罪で逮捕され、38か月刑務所に入っていたことがある。本人は、密輸目的ではなく医薬品として無許可で栽培したものだと主張したという。出所後、一時アメリカに移住し、メキシコ人コミュニティで政治活動にかかわるようになる。帰国後、当時ミチョアカンで政権をとっていた民主的革命党(PRD)のもと、政界入りを目指していた。ミレレスは憲法を引用し、民衆には武器をとってたたかう権利があると説いた。自警団リーダーの中にそのような演説ができる人物はほかになく、清廉なイメージで人気が高まったが、その一方で自警団の中で彼を敵視する勢力も大きくなっていった。飛行機事故で重傷を負ったときにも、テンプル側より身内の側の策略をひそかに疑うほどだった。

 

ちなみに国家人権委員会の聞き取り調査によれば、自警団の資金面に関しては、当初は無給のボランティアで、食料も持参することがあったという。武器も、テンプルの武器庫から奪ったものだと主張されていた。給料はのちには出動した日に応じて支払われるようになったが、実際誰にいくら支払うかはそれぞれのグループのリーダーに任されていたという。資金源も武器の調達も、それぞれのリーダー次第だったのだ。

 

自警団リーダーのなかで、犯罪組織とのつながりが明らかなもののひとりが、ラ・ルアナ地区の「エル・アメリカーノ」ことルイス・アントニオ・トレス・ゴンサレスである。ハリスコ新世代とつながり、自分のグループにテンプルから寝返ったものをメンバーに加えるなどしていた。同じ地区で別の自警団グループを率る、レモン栽培の農園主イポリト・モラと対立し、201412月には自警団同士の銃撃戦になって、11人の死者が出ている。この事件ののち、この2人は逮捕され一時収監されたが、すぐに釈放されている。

 

エル・アメリカーノの仲間が、「エル・ゴルド」ことニコラス・シエラ・サンタナである。ドキュメンタリー映画のなかで「ビアグラス」と呼ばれるグループを率いるリーダーとして紹介されている。スペイン語の「ビアグラス」とは、「バイアグラ」の複数形である。この悪趣味な名前のグループは、8人きょうだいのシエラ一家が中心となり、最初はファミリア・ミチョアカナに、次にテンプル騎士団に、さらにハリスコ新世代と組んできたという地元マフィアである。テンプル騎士団の情報を流して自警団に協力する一方、麻薬密輸の仕事を継続していた。

 

自警団の中でも、このグループは注目を集める存在だった。高性能な武器を所持し、敵陣に乗り込む先陣隊を構成する一方で、貴金属やブランド物を身に着け、レポーターたちから「アルマーニ部隊」と呼ばれるほどだった。まさに「ナルコ」スタイルそのものである。シエラ・サンタナはアメリカのテレビ局の取材にも応じ、「テンプル騎士団が弱体化した今は、敵は政府だ」などとうそぶいていた。犯罪者であるのは明らかであるにもかかわらず、自警団、のちに地方防衛隊(Fuerza Rural Estatal)のリーダーを務め、逮捕もされていないのである。

 

自警団活動を通じて、私腹を肥やすものもいた。古いアニメの小人キャラクターに似たひげを蓄えていることから、「パパ・ピトゥフォ」(映画の字幕では「スマーフ」)と呼ばれるエスタニスラオ・ベルトランもそのひとりだった。もとはレモンの収穫労働者にすぎなかったのが、アボガドやレモンの農場をいくつも所有し、500頭もの牛と最新型の自家用車まで所有するまでになった。これは、捕えたテンプル騎士団メンバーを免罪することと引き替えに金や所有物を出させていたからである。ベルトランは、ミレレスの親友で自警団活動での右腕でもあったが、ミレレスを裏切り、地方防衛隊に改編する側についたのだった。自警団メンバーの中には、同じようにテンプルのボスらが所有していた土地や所有物を取り上げ、成り上がったものが少なくなかった。

 

犯罪とは無縁だった人も、自警団に加わり、「戦争」となると人が変わってしまうのかもしれない。ドキュメンタリーのなかで、敵の捕虜の処分についてミレレスが、「身ぐるみはいで、埋めてしまえ」と殺人と死体遺棄を指示する声が聞こえる。テンプルにつかまれば、自分たちも同じことをされるから、というのだ。警察や軍のように合法的な公安組織すら拷問や超法規殺人を行っている現在のメキシコである。違法な武装勢力であるカルテルも、それに対抗する勢力の自警団も、同じことをするのは当然というわけである。

 

 

 

自警団から地方防衛隊へ

 

テンプル騎士団追撃がひと段落着いた20141月、マフィアに乗っ取られて機能不全に陥っている州政府を立て直すべく、大統領令により「ミチョアカン州の治安回復と総合的発展のための委員会」を設立、その代表として、ペーニャ・ニエト大統領の腹心であるアルフレド・カスティージョを送り込む。この委員会は、州の治安だけでなく政治・経済などまで統括するもので、州知事や州議会よりも大きな権限を持ち、じつのところ地方分権の原則を破る例外的な措置だった。

 

委員会の重要な使命のひとつが、本来違法な存在である自警団を合法化し、国家のコントロール下に置くことだった。自警団をメキシコ軍規に基づいた民兵組織とみなし、「地方防衛隊」として再編しようというのである。地方防衛隊では、その構成員と武器を登録することになっており、地域を管轄する軍や警察と協力することが義務付けられる。地方防衛隊に改編すれば、自警団として活動していた間に行った違法行為は不問に帰すとされたことから、スネに傷をもつリーダーらはこぞって改編に合意した。一方ミレレス医師は、国家権力によって非武装化され、犯罪組織に対抗する力を失ってしまうとして、強硬に反対した。

 

ミレレスは理想と正義を説き、マスコミ受けしたが、評判を下げるような振る舞いもあった。そのひとつが女性関係だった。当時、孫といっても通じる17歳の女性に夢中になり、ドキュメンタリーのカメラの前でもかまうことなく口説き、抗争が終われば結婚するつもりだと公言していたという。女性関係は彼女の前にもたくさんあった、と妻は語っていた。

 

ミレレスは自警団のスポークスマンを解任され、自分の率いるグループだけを残して孤立した。ドキュメンタリーは20146月にミレレス医師が逮捕されたところで終っている。武器の不法所持の罪で起訴され、ソノラ州エルモシージョの重犯罪者向け刑務所に収監された。健康状態の悪化が伝えられたり、反省の弁を述べたメッセージを出したりしたが、20164月現在もいまだ釈放には至っていない。

 

舞台となったミチョアカン州には、ミレレスら自警団の活動によって平和が訪れたのだろうか? テンプル騎士団はほぼ壊滅し、公安当局の発表によれば、数字の信ぴょう性は高くないにせよ、2015年には殺人件数が前年より25%も下がったとされている。それでも依然として全国で4番目に殺人件数の多い州であり、いまはいくつものカルテルが入り込んで小競り合いを繰り返している。

 

20164月には、ミチョアカン州「熱い土地」の各地で30台以上の車両が放火され、3日間にわたって道路封鎖され、商業施設に爆弾攻撃がされるなどした事件があった。これにかかわったとして、ビアグラスのメンバー20人以上が逮捕されている。元自警団リーダーのエル・アメリカーノことトレス・ゴンサレスが逮捕されたため、その身柄を奪還しようとしてのことだったといわれる。

 

さらに、政府に協力したハリスコ新世代カルテルは急速に存在感を増し、2015年にはシナロア・カルテルをしのぐといわれるほどの資金力と武力を備えた巨大カルテルに成長していた。ミチョアカン州やハリスコ州で軍と大規模な抗争を繰り返し、ロケットランチャーで軍のヘリを撃墜したこともあった。

 

自警団の創始者のひとりで、その後ミチョアカン州選出の下院議員に当選したイポリト・モラによると、連邦政府が送り込んだ委員会は、結果的に新しく複数の麻薬カルテルを作っただけで、誘拐やゆすりは続いているという。自警団を合法化したが、それはテンプル騎士団のボスたちの友人らに制服を着せたにすぎない。その間に起こった無数の殺人や行方不明事件は何ひとつ解決されないまま、だれも責任が問われていないのだ。

 

メキシコの犯罪組織は、政府や公安当局とさまざまなレベルで結びつき、麻薬密輸だけにとどまらずあらゆる違法行為から巨額の富を得ている。20151年間のメキシコでの殺人被害者は14000人にのぼり、行方不明者は2007年以来28000人近くにまでなった。TPP環太平洋パートナーシップ協定への参入などを契機に、近年メキシコに進出する日本企業も増加している。だが経済協力をうたうのであれば、人権侵害と汚職の恐るべき実態にまず目を向け、有効な対策をとるよう国外からも圧力をかけていくことが今、求められているのではないだろうか。