ナルコの神様

メキシコ北部・シナロア州の州都クリアカンの中心街からバスで10分足らず。近代的なビルが建ち並び、家族連れで賑わうマクドナルドまで1ブロックしか離れていない大通りに面した場所にそれはあった。「ナルコの神様 Santo de Narcos」と呼ばれるヘスス・マルベルデの礼拝堂である。

2011年夏、初めてクリアカン市を訪れた。メキシコの大物カポを数多く輩出した街である。とくに観光地というわけではないが、街並みは清潔で落ち着いた雰囲気で、中心街にはコロニアル調の建物が並び、州都らしい活気がある。

市の観光課をたずね、「マルベルデの礼拝堂について知りたいのだが」とおずおずと申し出ると、市内観光のガイドもつとめているという女性職員が出てきて、すらすらとマルベルデのいわれをガイド口調で語ってくれた。マルベルデの礼拝堂はとくに観光スポットにはなっていないが、観光バスで市内を回るさいに前を通りかかると解説しているのだそうだ。

 

ヘスス・マルベルデは、メキシコ革命の時代の義賊で、金持ちから奪った金を貧しい人々に分け与えていた。そのために州知事から憎まれ、処刑された後も埋葬することが禁じられ、長い間木に吊るされたままにされていた。ある日、家畜が行方不明になって困っていた貧しい男がマルベルデの遺骸を拝み、家畜を見つけてくれたら埋葬すると約束したところ、いなくなっていた家畜がすぐに出てきた。男は喜んでマルベルデを埋葬し、それを聞いた人々がその場所を訪れるようになり、いつしか聖地とされるようになった…。

 

マルベルデ伝説にはいろいろなバージョンがあるが、その後もマルベルデに願をかけたら奇跡が起こったという人が続き、庶民の守り神として信仰を集めるようになった。

そのクリアカン周辺はもともと貧しい農村地域だったが、次第に麻薬の栽培や密輸にかかわる人が増え、麻薬がらみの仕事をする人々が願い事をしに来るようになり、いつしかナルコの神様と呼ばれるようになったのである。

 

 実際に礼拝堂を訪れてみると、あっけらかんと明るい様子に拍子抜けするほどだった。平日の昼間、昼食をはさんで3時間ほど、礼拝堂の管理人とおしゃべりながら観察していたが、タクシーや自家用車が次々に乗り付け、家族連れなどが立ち寄ってお祈りしていき、人が途切れることがなかった。人出は平日も週末も、同じくらいだという。筋骨たくましいその手の人と思しき人も来る一方で、病気らしい子どもを抱えた貧しげな女性もお参りに来ている。メキシコの神様らしく、陽気な音楽が好みだとのことで、願をかけたい人は楽団や2~3人組の歌手に金を出して廟の前で音楽を奉納することも多い。マルベルデをうたった歌もいくつもあり、礼拝堂の前の屋台でCDが売られている。

 地元の人と話すと、麻薬とは関係なく、病気や受験など、願い事をしたいときに来ることがあるという。マルベルデの礼拝堂には管理人が交代しながら24時間常駐している。夜中には扉が閉められるが、ときには明け方に訪れて礼拝堂を開けさせ、楽団を呼んでセレナーデ(音楽)を捧げて行く人たちもいるという。しかしそこでは撃ち合いなど起こったことはなく、危険を感じたことはないという。