チャポの後継者、イスマエル・「マヨ」・サンバダ

 

 222日、メキシコ最大の麻薬マフィアでシナロア・カルテルのボス、「チャポ」ことホアキン・グスマン・ロエラが逮捕されるという一大ニュースが駆け巡った。だがその翌日には、そのボスの座を引き継ぐ人物がさっそく取り沙汰されている。

 

 グスマン・ロエラに次ぐシナロア・カルテルのボスの名は、「マヨ」ことイスマエル・サンバダ・ガルシア。ナルコのボスはふつう、マスコミなどに顔を出すことはまずないが(テレビ番組やユーチューブに顔を出しまくっているテンプル騎士団は例外。)、サンバダは慎重な性格でとくに露出することが少ない。唯一その人となりを知ることができるのは、2010年にメキシコの雑誌『Proceso』の創設者でジャーナリストのフリオ・シェレルが行ったインタビューである。このときには野球帽をかぶり、シェレルと肩を組んだ写真が掲載された。223日のBBC Mundoの記事を参考にまとめてみた。

Proceso En La Guarida De "El Mayo" Zambada「Proceso」に掲載されたサンバダの写真。左はジャーナリストのフリオ・シェレル。http://www.proceso.com.mx/?p=106967

 

  サンバダは194811日、シナロア州クリアカン近郊で生まれた。少年時代から麻薬密輸の仕事を手伝い始め、「ドン・ネト」ことエルネスト・フォンセカ・カリジョ、「ボスの中のボス」と呼ばれたミゲル・アンヘル・ガジャルド、さらに「天空の王」ことアマド・カリージョ・フエンテスとシナロアの歴代大物マフィアのもとで働いてきた。カリージョ・フエンテスが1996年に死亡し、さらにその後、ライバルだったティフアナのアレジャーノ・フェリックス兄弟が当局から集中攻撃を受けると、サンバダはメキシコの大物マフィアとして台頭し、シナロア・カルテルを率いることになる。当時、仲間である「チャポ」グスマンは塀の中にいた。

 

 この時期8年間、メキシコの麻薬密輸カルテルは比較的穏やかに共存共栄を続け、この間にサンバダと妻のロサリオ・ニエブラ・カルドサはいくつもの事業を立ち上げる。クリアカンを中心に、乳業会社や衣類、宝石、飼料などの販売会社を次々に創設し、さらに貧困世帯の子ども向けの無料の保育園まで設立した。この保育園は政府機関の援助を受けており、サンバダの息子のひとりが農業省の畜産振興プログラムの援助を受けていたこともわかっている。

 

今日のシナロア・カルテルはアメリカ大陸だけでなく、ヨーロッパ、アジア、オセアニア、アフリカの数十もの国で活動していることが確認されている。カルテルが巨大な多国籍企業のように世界各地で展開するようになったのは、このサンバダの力によるものが大きいという。サンバダの組織のブローカーは最近、オランダやオーストラリアのメルボルンで逮捕されている。

 

  マヨ・サンバダは田舎暮らしが好みで、人前に出てくることは少ないが、仲間のチャポ・グスマンが逮捕されたマサトランの街にはしばしば姿を見せることがあるという。マサトランでは、数年前、サンバダがよく宿泊していたホテルでウエイターたちがサンバダの席を誰もが担当したがったという。100ドル札をポンとチップに置いてくれたからだ。

 

 サンバダはどこに隠れているのか? おそらくシナロアの山中である。シェレルとのインタビューでも、「山は私の家で、家族で、私を守ってくれるもので、私の土地だ。自分が飲む水のようなものだ」と述べている。

 

 チャポ・グスマンの逮捕によって組織がどのようになるのか、いまのところまだわからない。だが組織自体が解体したわけではなく、専門家らはたいした変化はないだろうとみている。サンバダ自身もインタビューで次のように語っている。

 

 ――いつの日か自分も政府に降参して銃殺される日が来るだろう。私は皆の見せしめにされる。私が銃殺されてみな大喜びだ。しかし何日もしないうちに、なにも変わっていないことに気がつくだろう。

 

 ――麻薬密輸の問題には何百万人もかかわっている。それをどうコントロールできるのか? ボスがいくら逮捕され、殺され、アメリカに移送されても、その代わりはすぐに出てくる。