クリアカンの「死」

 メキシコ北部・太平洋に面したシナロア州の州都・クリアカン。メキシコの大物ナルコを輩出したいわくつきの街。ナルコの神様とも呼ばれるヘスス・マルベルデが街角に鎮座し、毎日たくさんの参拝客を集めている。

 昨年(2011年)夏に初めて訪れたときは、恐る恐るという感じだったが、実際に歩き回ってみると、中心街は清潔で活気があり、ごく普通の地方都市である。その後さらにいろいろ本を読んで、クリアカンで見落としていた場所がいくつかあったことに気付き、この夏(2012年)懲りもせず(笑)再訪した。

 

 そのひとつが、クリアカンの街の南のはずれにあるウマヤ庭園墓地。ここが「ナルコ墓地」として有名なところである。まだ新しい、広大な墓地で、入口から自動車で奥まで入れるようになっている、奥に進んでいくにしたがって、大理石造りの礼拝堂付きの巨大な墓が、豪華さを競い合うように建ち並ぶのが見えてくる。遠目には、丸いイスラム建築風の屋根が並ぶところは、エルサレムかどこかの風景のミニチュアのようだ。連れて行ってくれたタクシー運転手も、足を踏み入れるのは初めてだったらしく、珍しそうに眺めていた。

大型の礼拝堂は、内部は日本式にいうと4畳半か6畳くらいの広さだが、照明もクーラーも完備されている。クリアカンの気候は冬場の数か月以外、年間を通して最高気温は30度以上で、かなり蒸し暑い。お墓参りのときに、永久の眠りの付いている人以外が快適なひとときを過ごせるようにという配慮のようだ。

 

 ここに眠るのは、大物マフィアから中小のその道の人たちまで、大部分がその関係の人たちだという。墓標に刻まれた名前と年齢を見ていくと、20代から30代、40代と若い男性の墓が目立つ。ガラス張りの礼拝堂のなかには、カウボーイハットをかぶって尻ポケットに銃を入れてポーズをとった、いかにもという写真が飾ってあったり、おもちゃの車が並んでいたり。警官の制服を着たまだ20代くらいの若者の写真が飾られた大型の礼拝堂もあった(警官の家族がそんなに裕福?)。ガラス部分が鏡張りになっていて、内部が見えないようになっているのが一番怪しいかも?

興味深いのは、墓にたくさんの写真が飾られていることで、普通の十字架の墓でも、顔写真と故人への哀悼をささげる言葉をプリントしたビニール製のポスターが掲げられていたりする。メキシコシティの友人は、そんな墓はほかでは見たことがない、といっていたが、これもナルコ墓地独特のものなのだろうか?

とにかく、このウマヤ墓地に葬られるには、亡くなった当人の家族が、墓地の地所を買い、それなりの墓標を建てられるだけの大金を持っていることが前提になる。墓地で働く建設労働者が通りかかったので尋ねてみると、墓地の小さい1区画で3万ペソ(約18万円)、普通のシンプルな十字架の墓標が45000ペソ(約27万円)、大理石造りの礼拝堂を建てようと思えば100万ペソ(600万円)以上かかるだろう、という。これ以外に、毎年維持費にけっこうな額がかかる。日本円に換算すれば安く思えるが、メキシコではそうそう手が届く額ではない。

 その人によれば、以前、アメリカのテレビ・レポーターがこの墓地に取材に来たことがあったという。8か月にわたってテレビカメラを据え付け、表向きは豪華な礼拝堂が完成するまでを追いながら、実際は墓地のあちこちに仕掛けたカメラで、誰か有名ナルコの家族が墓参りに来るのを待ち構えていたのだという。大物ナルコの墓には名前が出ていないので、どの墓地が誰の墓かわからない。工事人はそれを知っているので、墓地で働く者全員に金を配って情報を集めたのだそうだ。ここは文字通り、地獄の沙汰の金次第、という世界だ。

 墓地だけでなく、クリアカンでは、道路際でもしばしば十字架とビニール製の写真入りポスターに出くわす。交通事故だったのかなにか原因は分からないが、若い青年の写真の横に、故人の誕生日か命日かなにかにささげられた色鮮やかな造花とアルミ風船が揺れていた。

 

 さらにもうひとつ、有名な十字架を見に行った。市内の自動車用品の大型スーパーの駐車場にある、人の背丈ほどの十字架で、その場所で亡くなった3人の若者の頭文字が刻まれている。メキシコ最大のカポといわれるホアキン・「チャポ」・グスマンの、当時大学生だった息子と、そのいとこと友人の一人である。襲撃犯は15人以上で、バズーカまで用意していたという。犯人グループは、チャポのもと盟友だったイスマエル・「エル・マヨ」・サンバダが送りこんだことがあとでわかったそうだ。

 いずれにせよ、チャポは息子の死を深く悼んで、一説にはメキシコの北部にあるバラの花を全部買い占めて葬式に使ったとか。そしてこの一見地味な十字架を、若者3人が命を失った現場に建てたのだそうだ。

 

こんな豪邸で眠りたい?
こんな豪邸で眠りたい?