アヨツィナパ教員養成大学学生拉致失踪事件   ――覆った「真実」②

 

 ゲレロ州イグアラ市は2014926日、アヨツィナパ教員養成大学学生43人の拉致行方不明事件が起きた街である。事件の前からイグアラ周辺では麻薬マフィアが勢力をふるい、そのため軍も連邦警察も警備を固めているはずだが、事件後も相変わらず暴力の嵐は収まらず、銃撃戦や殺人事件の報道が絶えることがない。

 

 イグアラ市は、太平洋岸のアカプルコと首都を結ぶ交通の要衝にあり、さらに周辺のマドレ山脈に点在する村々から来る物産の集散地でもある。標高700mちょっと。メキシコシティからのバスがイグアラ市に近づくと、街道沿いを歩く人々の服装は亜熱帯のそれになってきた。ここは日本の夏並みに暑い。だが明るい風景とは裏腹に、中心街に入る手前に官桶屋が並んでいるのが目に入った。

 

 イグアラは、スペインからの独立戦争で重要なイベントの舞台となった、史跡の地でもある。街の歴史を記念した立派なモニュメントや博物館があり、巨木が心地よい影を落とす公園のベンチでは、お年寄りや子ども連れが昼下がりのひと時をのんびり過ごしているのが見える。

 中央広場の脇に市庁舎があった。外壁は白く塗られていたが、2014年の事件の後、怒った市民の焼き討ちにあって、内側は真っ黒に焼け焦げたままである。43人の学生行方不明事件の解決を訴える横断幕が庁舎の正面に掲げられていた。

 

 その向かいにテントがあり、「43」という文字をあしらったTシャツなどを売っていたので声をかけてみた。行方不明学生の親たちを支援するボランティアの人たちのテントで、その中のラウルという教員の男性が、「事件の現場に連れて行ってあげよう」と言ってくれた。43人の学生が最初に襲撃された場所は、市庁舎からほんの数ブロックだが、ひとりで行っては危ないと言われ、タクシーを拾った。

  中心街から細い道を抜けて幹線道路に出たところの角で降りると、そこに花輪がかけられた十字架が2本、立っていた。その場で亡くなった学生らの親たちが立てたものである。そのすぐ脇に、事件1周年の日にお披露目予定のモニュメントが建てられるとのことだったが、このときはまだコンクリートの基盤に鉄筋の棒が立っているだけだった。近くの民家の壁には、まだ生々しい銃弾の跡が残っていた。

  学生たちが首都で行われるイベントに参加するため、バス会社から無賃で「借り受けた」数台のバスは、この場所でパトカーに前後を挟まれ、いきなり激しい銃撃を受けた。学生たちは命からがら逃げ出して周辺の民家に助けを求め、かくまってもらった。怪我をした学生たちは近くのクリニックに駆け込んだが、顔面に重傷を負った学生は治療を拒否された…。そんな話をラウルから聞き、写真を撮っている間に、市警察のトラックが通りかかった。見張られている、ということだろうか。

 

 再びタクシーに乗って市庁舎前のテントに戻ったところで、「タクシーの中では言えなかったけど」とラウルは言い、ここでは毎週、56人が殺されたり行方不明になっている、市内のタクシーのほとんどはマフィアの情報屋でもあるので、余計なことは言えないのだ、と教えてくれた。「その辺のやつらも、マフィアの見張りかもしれない」と、広場の角でたむろしている数人の若い男女を目で示した。確かに、平日の昼間から暇そうに立っている姿は怪しい。まどろむようにのどかな亜熱帯の街の景色が、いきなり不穏なものに見えてきた。

 

 夜8時。陽も傾いて暑さも和らいだ頃、中央広場の周りには茹でトウモロコシやフルーツ、駄菓子の屋台などが出て、家族連れや恋人たちがそぞろ歩くのが見えた。治安に問題があるとは思えない風景だった。しかしホテルでも、夜9時以降は出歩かないほうがいいと言われ、実際その時刻からは不思議なほど、窓の外の道路からパタリと物音が途絶えた。

 

 イグアラ事件では当初、市長のホセ・ルイス・アバルカとその妻が主犯とされ、逮捕された。学生たちが妻のイベントを妨害しに来たから襲撃させたのだと発表された。しかし実際には学生がバスに乗り込んだ時刻にはもう妻のイベントは終了し、夫妻は中央広場の脇のタコス屋で夕食中だったという。左翼学生弾圧という政治的な動機ではなかったのだ。

 

 麻薬組織「ゲレロス・ウニードス」の実質的なリーダーとされた市長夫人が複数の金の宝飾店を経営していたという報道を読んだとき、金取引を装ったマネーロンダリングだろうか? と想像した。しかし実際に、イグアラ市は周辺の山地で金が採れるので、金細工を売る店が多く、地元の重要産業のひとつだったのだ。バスターミナルの脇に宝飾品の専門店が軒を並べるマーケットがあったので覗いてみた。高級品専門の店もあれば、お手頃価格のカジュアルなアクセサリー中心の店も。金細工はだいたい全部14Kで、デザインは関係なく価格はすべて重さで決まるのだという。かつてはこれを目当てに訪れる観光客もいたが、最近の事件ですっかり客足が遠のいてしまったという。

 

 翌日、再び市庁舎前のテントを覗きに行くと、明日アヨツィナパに行く、という医師の女性に会った。パトリシアという名前で、以前に医療ボランティアで行ったことがあるという。2人でタクシーで行けば、バスで行くより少し高いくらいで早く着くというので、一緒に行かせてもらうことに。

  そして翌朝。ホテルのロビーで待つこと1時間半。メキシコじゃ、赤の他人との約束なんて守ってもらえたらラッキー、みたいなものだから、あきらめてひとりで行くことにした。

 

  イグアラから州都のチルパンシンゴまで、バスで約1時間半。アヨツィナパ教員養成大学は、州都からバスで約30分、ティクストラという大きな街のすぐ手前にあった。小学校教員を養成する男子のみの全寮制学校で、学生は500人余り。ほとんどが貧しい農村部出身の若者たちである。

  小ぢんまりとした構内の建物の壁には、43人の行方不明学生らの顔の絵などとともに、過激な社会運動家を輩出した左翼系大学らしく、チェ・ゲバラはじめ内外の革命家の肖像などが描かれている。歩いていると、なんとあのパトリシアがベンチに座っているのが見えた。私が出発した後に出たが、イグアラからタクシーで直行して、先に着いていたという。

 

 ちょうど1年生が集合して農作業を始めるところだったので、いっしょに見学に。集まった50人ほどの学生たちは、20歳前後から、もっと上に見える学生まで。学生の受け入れに年齢制限は設けていないそうだ。この学校には付属の畑や牧場があり、家畜も飼育されている。学生たちが作業を担い、寮生活の足しにするのだそうだ。案内してくれた先生によると、学生たちは将来、辺鄙な村で教員として働くことになるので、ここで農作業を習うことも必要だという。

 

  学生のひとりが、「トゲが刺さった」とやってきたので、パトリシアと一緒に医務室に行く。医務室といってもベッドが1つあるだけで、棚に医薬品が乱雑に積まれているだけ。それも同じ薬ばかりで、使用期限切れのものも多い。これだけの数の学生が生活しているのに、常駐の看護師もいない。深く刺さったトゲを抜くために必要な道具がないので、街の病院に行かなくてはならないが、その費用の話になって、学生はうつむいてしまった。パトリシアと私が100ペソ札を1枚ずつ差し出すと、ようやくほっとした表情になった。

 

 農業用機材の倉庫の脇に、大手乳製品メーカー「ララ」のトラックが、タイヤもガラスもない無残な姿で放置されていた。それは何かと教師にたずねると、彼はニヤリと笑って、「われわれの学校は政府から援助を得ていないので、いつも資金が足りない。なので、しばしばララやコカコーラのトラックを強奪して、学生たちの食糧にするのだ」という。学生たちは正々堂々、制服のポロシャツ着用で「犯行」に及ぶ。運転手たちは、強奪されたと警察に届ければそれで終わりなので、抵抗もしないのだそうだ。しかし、それって…。

  さらに倉庫の裏に古びたコーラ瓶が積み上げられていたのでたずねてみた。やっぱり火炎瓶だった。「われわれは武器は一切備えていない。警察などが襲撃してきたとき、反撃するための唯一の手段だ」。…なかなか物騒な構えの学校である。

  

 アヨツィナパはじめ師範大学の学生や教師らのアナーキスト的な振る舞いに関しては、世間では賛否両論である。私もゲレロ州内をバスで移動中、突然バスが停止され、州内の別の師範大学の学生が乗り込んできて、「州都での集会に参加するための募金をお願いします」と募金箱を持って回ってきたのに出くわした。窓の外を見ると、覆面で顔を覆った学生が、私が乗っているバスのガソリンタンクのふたを開け、ゴムホースを差し込んでポリタンクに移しているではないか。うわさに聞いた、ガソリンの強制徴用だ。バスの運転手が駆け寄ってきて、「そのくらいにしてくれ」といっているようだった。無賃で借りたバスの燃料が足りなくなったら、こうやって別の路線バスからいただいて、無銭バス旅行を続けるのだという。一般の旅行者に被害が及ぶわけではないが、バス会社にとってはいい迷惑だろう。

 バスの車内では、年配の女性が、「ああいうことをやっているから、あんな目にあうのよ」「貧しい学生だとかいってるけど、ブランドのサングラスをして、スマホだって持ってるよ」などと話しているのが聞こえた。メキシコは今も貧富の格差が大きいとはいえ、一部では底上げもされ、貧困が見えにくいものになってきているのは確かだ。左翼学生らの振る舞いも、時代にそぐわないものになりつつあるのかもしれない。

 

 州都チルパンシンゴに着いて2日目、モクテスマの復讐にやられて、1日起き上がれず(;_:)。日本から持ってきた正露丸なんぞは気休めにもならず、近くのクリニックに行って抗生物質をもらってきた。私がお腹を抱えて寝ている間に、アヨツィナパ学生43人拉致失踪事件で新しい展開があった。米州人権委員会が派遣した外国人専門家によるグループが調査をし直した結果、司法警察が20141月に「歴史的事実」として出した結論がことごとく覆されてしまったのだ。簡単にまとめると、次の通り。

1. 学生43人はゴミ焼却場で燃やされたとされていたが、そのためには3トン以上の薪か1.3トン以上の古タイヤが必要で、炎や煙も高く上がり、地元住民が見ないはずがない。ン以上の薪か1.3トン以上のタイヤを60時間燃やす必要がある。煙も大きく上がり、住民が見ないはずがない。
2
。 学生たちが無賃で「借りた」バスは4台と言われていたが、実際は5台だった。
3
。 最初に学生たちに発砲したのは市警察だったとされるが、実際には軍と連邦警察もその場にいた。
4
。 学生たちは市長の妻のイベントを邪魔しに来たとされていたが、実際には学生たちのバスが出発した時間にはイベントは終わっていた。

街の各所に備えられていた監視カメラの録画はほとんどが保存されていないなど、捜査のずさんさも暴露。
専門家グループによると、学生たちへの攻撃の激しさからしても、実際には5台目のバスにアメリカに密輸するヘロインが積まれていた可能性がある、という。地元マフィアはシカゴマフィアと組んでいて、密輸に路線バスを利用することがあるとか。学生たちが知らずに借り上げたバスの床下に、そんなブツが仕込まれていた? ありそうな話だけれ
2. 学生たちが借りたバスは4台といわれていたが、実際には5台あった。

3. 学生たちに最初に発砲したのは市警察で、軍や連邦警察は関与しなかったとされていたが、実際には軍も連邦警察もそこおり、にもかかわらず襲撃を止めようとしなかった。 

4. 学生たちは市長らのイベントのことは知らなかった。実際、学生らがバスに乗り込んだ時間にはイベントは終了していた。

  

 街の各所に備えられている監視カメラの画像も保存されていないなど、捜査のずさんさも暴露された。専門家グループの中のペルー人犯罪学者によると、5台目のバスがほかの4台と違って一切銃弾を受けておらず、また証拠となるビデオや軍・警察の記録からその存在が消されていること、そして襲撃の過激さからみて、この5台目のバスに麻薬が積載されていた可能性があると結論づけた。実際、イグアラの地元マフィアはシカゴマフィアとつながりを持ち、イグアラから直接、長距離バスを用いてヘロインが輸送されていることがわかっているのだという。そのため、バスが市外に出ることをなんとしても阻止しようとしたのだろうという。学生たちは、バスの床下にそんな物騒なモノが仕込まれているとはつゆ知らず、乗り込んでしまったということなのか。

 

 

イグアラ市の中央広場
イグアラ市の中央広場
内部の焼け焦げたイグアラ市庁舎
内部の焼け焦げたイグアラ市庁舎
十字架が立てられた事件現場。壁には銃弾の跡が残る。
十字架が立てられた事件現場。壁には銃弾の跡が残る。
アヨツィナパ教員養成大学正門
アヨツィナパ教員養成大学正門
アヨツィナパ教員養成大学の中庭
アヨツィナパ教員養成大学の中庭
事件1周年記念のイベントのため、校庭に学生たちの椅子と写真が並べられていた。
事件1周年記念のイベントのため、校庭に学生たちの椅子と写真が並べられていた。
校庭に掲げられた43人の失踪学生たちを描いた垂れ幕。
校庭に掲げられた43人の失踪学生たちを描いた垂れ幕。
校内いたるところの壁に、世界の革命家の肖像が描かれている。
校内いたるところの壁に、世界の革命家の肖像が描かれている。